ANACHRONISM
『どうやらここまでみたいだな』
何かが爆ぜるような轟音と強烈な熱波が俺の身体を叩く。船体に開いた風穴から見える水平線が傾くにつれ、俺は自分の命運が尽き果てたことを理解した。いつかはこんな日が来ることなどわかりきっていた。ただ、それが今日だなんて思いもしなかったが。
今にも俺を飲み込まんとする業火に向かって、俺は自嘲気味に笑いかけた。死ぬ覚悟などとうにできている。唯一心残りがあるとすれば、こいつを国に帰してやれないことくらいか。
手前勝手な俺たちに付き合って、こんな異国の海にまでついてきてくれた。そんなお前に寂しい思いなんかさせられない。
『俺も一緒に沈んでやるから、お前だけに寂しい思いなんてさせないさ』
いつでも一緒だった俺たちは、いつまでも一緒だ。それが明るく陽気な海の上でも、暗く冷たい海の底でも。俺だけ見苦しく助かろうなんて思わない。お前と一緒に故郷を夢見て眠りたい。
次第にかすみゆく視界の中に、幼い少女の影が映る。それは地獄へ誘う死神か、極楽へ導く天使か。死後の世界など信じちゃいないが、お前と共にいられるのなら、今から信じはじめてもいい。
そんなことを思いながら、俺はゆっくりと目を閉じる。
『おやすみ、■■■』
俺は血だまりの中の右手に力を込めた。ピクリとも動かない右手を撫でたのは爆炎だったか、海風だったか、それともお前の温もりだったか。俺は口の端だけでニヤリと笑う。
『次こそは、きっと……』
お前に触れている感覚だけを残して、五感のほとんどが消失した。何も聞こえぬ漆黒の中に自分の身体が落ちていく。
真っ暗闇を、どこまでも。真っ逆さまに、いつまでも。自分自身が、無くなるくらい。
♪
「てーとくさん!」
喉の奥に引っかかるような甘ったるい声で、俺の意識は唐突に覚醒した。このクソ暑い中マフラーを巻いた艦娘、夕立が煙突から白い煙を出しながら俺の体をゆすっているのを見て、俺は自分の置かれている状況を瞬時に理解した。。
いつものように執務室の椅子に腰かけた俺は、しばらくの間、意識をどこかに飛ばしてしまっていたようだ。白昼夢にしては、いやに気持ちの悪い内容だったような気がする。確か船に乗って、戦って。敵と撃ち合って、それで……。そんな曖昧な記憶すら、俺に詰め寄る6人の顔を見ていると、波間に揺蕩う海藻のように、するりするりと抜けおちていく。
「さっきからどうしてそんなにぼんやりしているんだい?」
心なしか、時雨の表情にも不安の色が濃い。出撃直前の司令官がこんな様子じゃ、心配にもなるだろう。俺は気合いを入れ直して、俺の胸倉をつかむような格好の夕立をそっと引きはがす。そして、時雨に向かって軽く頷いてやった。
「なんでもないさ」
「なんでもないのにぼんやりされていたのでは、艦隊の士気にかかわります」
いつものようなモノトーンの口調の加賀が何の意志も宿らない、それでいて心の奥底を見透かすような視線を俺に向ける。その視線を真っ向から受ける俺の頭からは、すでにさっきの白昼夢の大半が消えてなくなっていた。
「近頃、嫌にぼんやりしていることが多いようだけれど、どうかして?」
「本当に何でもないんだ。ただ、ふとした拍子に白昼夢を見るというか」
こいつの言うとおり、最近の俺は時折頭に浮かんでくる映像に悩まされていた。それは、寄せては返す波のように、俺の脳内に現れては消えて行く。大体いつも同じような内容を見ているような感じがするが、数分と覚えていられないから確認のしようがない。
「ふぁーあ、それって、睡眠が足りていないんじゃないですかぁ?」
大きなあくびをかみ殺す努力もせず、夕雲は眠たげな眼をこする。睡眠が足りていないのは、どうみてもこいつの方だ。
「お前、また夜更かししたのか。今日はお前も連れて出撃だと、あれほど言っておいただろ」
俺の机に突っ伏した夕雲の耳元に顔を近づけ、眠気なんか吹き飛ぶボリュームを出してみる。しかし、夕雲は全く堪えた様子もなく、マイペースなままだった。
「ふぁーあ、そうでしたっけ? まあ、夜眠れないのは夕雲だけのせいではありませんし」
俺は頭を抱えてため息を一つつく。それなりの戦果を挙げているから別にいいのだが、こいつの夜更かし癖には困ったものだ。作戦会議中の執務室で白昼夢を見る俺が言えたことではないかもしれないけど。
「もー、提督、本題に入るのがおっそーい! 退屈な会議なんか終わりにして、さっさとかけっこしに行きたいのに!」
6人の中でひときわ落ち着きのない島風が、俺たちのやり取りにしびれを切らしていきり立った。かけっこというのがそのまんまの意味でのかけっこなら正座でもさせてやりたいところだが、ひとまずはこいつの言うとおりさっさと本題に入るとしよう。
「さて、今日お前らに集まってもらったのは、ある作戦海域への進攻を命じるためだ」
とろけきった雰囲気を引き締めるため、わざと真面目くさった声を出してみる。俺の声色が変わったのに気が付いた艦娘たちは、自然と居住まいを正した。ただ一人、夕雲だけがこみ上げるあくびをこらえられなかったようだが。
「このほど発見された敵艦隊が、沖ノ島沖に撤退した。体勢を立て直す前に、追い打ちをかける」
「なるほど。敵の残存戦力は?」
先ほどまで妙に静かだった天津風が、どこからともなく手帳と鉛筆を取り出して尋ねてくる。こいつの瞳は、作戦会議の最中にひときわ輝く。おそらく何よりもデータの収集を好む、おかしな性格をしているからだろう。
「敵の残存戦力は大したものではないと見ている。何よりも大事なのは、戦力が落ちているうちに叩くこと。だから、今回の作戦は火力よりも速力を重視する」
「追いかけっこですね! 私が一番に戦果を挙げて見せます!」
飛び跳ねて喜ぶ島風。しかし、天津風の表情は硬いままだ。俺は言いたいことがありそうな天津風に視線を送り、言葉を促してみる。
「意味もなく沖ノ島沖に逃げたのかしら? そこに張った拠点に逃げ帰ったとは考えられないの?」
「沖ノ島はすでに我々の勢力範囲だ。奴らの拠点になっているとは考えにくい」
つい最近の作戦によって、俺たちは沖ノ島周辺の海域から敵を退けることに成功していた。その際沖ノ島に張った補給拠点を落とされていない以上、沖ノ島周辺の制海権は俺たちの手の中にあると考えて間違いない。撤退する敵艦が苦し紛れに攻撃を与えることも考えられるが、それならそれで背後から攻撃をかけることができる。今はすぐにでも追い駆けて叩き潰すことが何より大切だ。
「……ま、それはそうかもしれないけど、一応ね」
天津風は手帳に何やら走り書きをして、ぱたりと閉じた。心の底からというわけではなさそうだが、一応納得はしたようだ。
「説明が前後してしまったな。沖ノ島沖を敗走する敵戦力を、走力の出る駆逐艦娘が追跡し、叩く。加賀、お前は……」
「航空戦力による索敵、および後方支援」
俺の言葉を食いとるように、加賀は小さな声を出した。さっきまでと同じ無機質な声だったが、いつもよりは幾分熱がこもっているようだった。
「その通り。万が一巨大な戦力を発見したら、交戦せずに退却しろ。そして、誰一人欠けずに帰って来い」
俺はいったん言葉を区切り、艦娘たちを見つめる。
「以上だが、何か質問は?」
俺の問いかけに答える艦娘はいなかった。みな一様に、俺の机に突っ伏した夕雲ですら、決然とした表情で俺を見つめ返している。統率がほとんど取れていないように見えて、いざというときにはしっかり俺の指示に従ってくれるのが、こいつらのいいところだ。俺はそれぞれの顔をゆっくり見回し、大仰に頷いた。
「よろしい。それじゃ、進攻方向を決めてくるから、各々自由に待機しててくれ。追いかけっこ以外でな」
「えぇー! でも、すぐ追いかけっこできるし、我慢しよ……」
島風以外の凛々しい返事を受けて、俺は椅子を立って伸びをする。座りっぱなしの姿勢はどうにも腰と肩にくる。こんな時には自分が積み重ねてきた年齢を感じ、なんとなくさみしい気持ちになってしまう。俺だってもう少し若い時には……。
『■■■』
「……っと」
突然強烈なめまいを感じた俺は、思わず頭に手を当てて、執務机に寄り掛かった。頭の中で不快な音色が大音量でガンガンと鳴り響いたかようだった。
「提督?」
そんな俺を目ざとく見つけた時雨が、心配そうな声をかけてきた。ほぼ勝ち戦とはいえ、出撃前だ。要らない心配は与えないようにしないとな。
「ああ、年を重ねると腰とか肩とか、いろんなところにガタがくるもんなんだよ。お前にはまだ関係のない話だが」
「……ふぅん」
ごまかせたのかごまかせてないのか、何とも微妙な声だった。時雨の場合常にこんな感じだから、何とも判断が付きにくい。これ以上言葉を重ねても不自然だし、操舵室まで平然と歩いて行って、健康ぶりをアピールすることにしよう。
俺はわざとらしい伸びを延々繰り返しながら、艦娘たちの嬌声が響く執務室を後にした。
♪
重々しい空気が漂う木製の廊下には、俺が発する低い足音が響いていた。俺が常駐している執務室から伸びる廊下には一切の窓がなく、ひどく薄暗い。一定間隔で取り付けられた裸の白熱電球が振動によって危うげに揺れ、作り出される俺の影も二重三重に奇妙な姿を映しだした。毎日見ている光景だが、俺は早足で歩くことをやめられない。
俺と艦娘たちが暮らすこの「鎮守府」はだだっ広い海の上に浮かぶ巨大な艦船だ。俺たちの生活に必要な施設は一通りそろっており、物置や使われていない部屋を含めればかなりの面積を誇る。俺が移動しているこの廊下はデッキを除けば一番上の階層で、会議室や執務室といった作戦の遂行上必要な部屋が全てこの廊下に面して設置されていた。長い廊下の端には階段が設置され、一階層下の生活スペースと二階層下の居住スペースにそれぞれ降られる構造になっている。
俺たちはいつも作戦海域周辺までこの鎮守府を使って直接移動し、出撃していく。移動にはもちろん操舵手が必要不可欠で、俺はまさにその操舵手に会うため、操舵室に向かっているのだった。
操舵室はこの廊下のほぼ中央、鎮守府のど真ん中に位置している。通常であれば操舵室は船の進行方向に向けて設置されているものだが、ことこの鎮守府においては何故か右舷側を向いて設置されている。どうにも方向と距離感を掴みにくいから、と言い訳をして、俺はこの鎮守府の操舵を、この部屋に陣取る奴に全てお任せしていた。
操舵室の前で立ち止まると、俺は大きく深呼吸をした。この部屋に入るのはいつまでたっても緊張する。ここに入るくらいだったらこの不気味な廊下にいたほうがまだましというものだ。俺はのどを鳴らして生唾を飲み込み、木製の扉を叩いた。
俺が手を触れるまでもなく、操舵室の重厚な扉は音もなく開いた。廊下の反対側の壁は一面ガラス張りで、太陽の光が燦々と差し込んでいる。金属製の計器や機械類がその光を反射し、部屋の中は明るい光で満ち溢れているようだった。
そんな部屋の中心には、気味の悪い笑みを顔面に貼りつかせた妖精がふわふわと浮かんでいた。鎮守府の中でも重要な設備である操舵室を占領するこの妖精は、俺と艦娘たちにとって、敵なのか味方なのかよくわからない存在だ。普段からこの操舵室にこもりきりで、作戦の直前になると手にしている羅針盤を回し、俺たちに針路を告げる。やることといえばただそれだけ。しかも、その針路に何が待っているのかは、実際に航行してみないとわからない。その上、あらかじめ成否を教えてくれるよう頼み込んでも、毎回同じセリフしか返してこないというミステリアスぶりである。
そんな怪しさ満点の妖精だが、彼女が指し示す針路以外、俺たちに進む道は存在しない。なぜならば、彼女の羅針盤が指し示す針路以外には、確実に災難が待ち受けているからだ。
「こんにちは、提督さん。今日も羅針盤を回しに来たんだね」
今日の彼女は魔女のような帽子をかぶり、金色の髪をツインテールに結んでいる。「今日の」というからには「昨日の」があるのだが、俺が確認しているだけでもこの妖精は4つの姿を持っているらしい。それぞれが別人なのか、それとも一人が姿を変えているのか、俺にはいまだに判断がついていない。
「ああ。とはいっても、逃げた敵艦の追走だから、方向は一つなんだけど。ゲン担ぎがてら回してもらおうかと思ってな」
「それはいい判断だねー」
不気味な笑みを浮かべたまま、彼女は俺の目の前に羅針盤をかざす。ひとりでにまわり始めた羅針盤に、俺はもう驚きもしない。彼女が魔女の格好をして出てくる時には、羅針盤はひとりでに回り、ひとりでに止まるのだ。
「それっ」
羅針盤娘の掛け声とともに、羅針盤の針が慣性を無視した動きでピタッと止まる。羅針盤の赤い針は、南東を指していた。なるほど、南東ね。敵艦が逃げて行った方向と同じだ。
「やっぱりそっちか。ありがとな」
俺はおざなりにお礼を言うと、そそくさと操舵室から退散しようとした。長い付き合いとはいえ、表情の変わらない彼女と一緒にいるのは、なんとなく肝が冷える。
「ところで提督さん」
「……は?」
背中に投げかけられた鈴を転がすような声に、俺は間の抜けた返事をして振り返る。いまだかつて、羅針盤を回した後に彼女が話しかけてくることはなかった。俺の背中には、なにやら冷たいものが流れ落ちた。
「最近、よく眠れてる?」
変わらぬ笑顔の彼女からは、何の感情も読み取れない。本当に、ただの世間話をしているような口調である。しかし、彼女の口から放たれる初めての世間話に、俺の心は波打っていた。
「消灯時刻にはばっちり寝て、起床時刻の三十分前には海を見てる。毎日快眠だ」
「そうなんだ。でも、それにしては最近様子がおかしいよね」
彼女の言葉に、俺は戦慄を覚える。確かに執務室でもぼんやりしていることが多いと言われたが、彼女の前であの白昼夢を見たことはない。それなのに、どうして彼女はそのことを知っているのだろうか。うすら寒い緊張感がさざ波のように、俺の全身に広がる。
「真昼間から夢を見て、昔のことでも思い出しているのかな?」
「昔のこと?」
一体彼女は何を言っているんだろう。そう思いながら、俺はぼんやり白昼夢のことを思い出す。俺は確か船に乗っていて、ドンパチ撃ちあいをしていた。旗色は次第に悪くなり、最終的には……どうなったんだったか。
しかし、そんなのは単なる夢に過ぎない。俺は今も昔もこの鎮守府を任された提督で、それ以上でも以下でもない存在だ。艦娘たちと作戦を立て、指揮を執り、勝ったり負けたり、怒ったり怒られたり、泣いたり笑ったり。そんな人生を歩んできた。昔のことなんか何もない……はずだ。
「視線の揺らぎは、自分の存在に対する葛藤からなのかな」
俺の心情を的確に言い当てた彼女は、俺の視界の中心をフェードアウトするように遠ざかる。遠近感を失わせる彼女の動きに、俺は軽い眩暈を覚える。
「そんなんでいいの? 再会の時はもうすぐなのに」
「再会の時?」
彼女の話はなんとも要領を得ない。もしかしたら、意味ありげな言葉を投げかけて、俺の反応を見ているだけなのかもしれない。彼女が俺をもてあそんで楽しいのかは知らないが、どうにもそんな予感が頭をよぎる。
「再会だか何だか知らないけど、素敵な出会いがあるんなら歓迎するよ。それじゃ」
これ以上話していても、煙にまかれたような話をされるだけだろう。出撃前に煙に巻かれるなんて、縁起が悪い。俺は結構言霊を大事にする方なのだ。
そんなことを考えながら操舵室から立ち去ろうとする俺の目の前に、彼女が突然ズームアップするように接近してきた。
「うぉ!」
俺の反応がよほど楽しいのか、彼女はさっきから微塵も変わらない笑顔で小さな笑い声を漏らしている。それは気をつけないと聞き洩らしてしまうくらい小さな声だったが、不思議と俺の耳に突き刺さった。
「なんだよ、急に」
俺の問いかけには答えず、彼女は延々と不快な笑い声を漏らしていた。耳に突き刺さるその声は、鼓膜を突き破って頭の中に延々と響き渡る。俺は眉間にしわを寄せ、両手で耳をギュッと塞いだ。これ以上聞いていると、頭がおかしくなってしまいそうだった。
両手の上から聞こえていたくぐもった笑い声が、しばらくすると不意に止んだ。一体どうしたのだろうと俺は両手を離して彼女を見つめる。
『■■■』
間の抜けた顔をした俺に、何やら奇妙な音が投げかけられた。
これはただの音? 意味を持っているようにも、持っていないようにも聞こえる。ただ、その音は俺の身体に大きな異変を巻き起こした。
「今、なんて言った?」
意味もなく口の中が乾き始める。理由もなく緊張する心臓が、40ノットを超えるスピードで高鳴る。理解が追い付かない脳内は、制御を失った航空機のようにきりきり舞いしている。
「さて、なんと言ったでしょう」
俺の質問をごまかし、彼女はフェードアウトするように消えて行った。俺を除いては誰もいない操舵室に、鈴を転がしたような声が響く。
「再会の時は、もうすぐだよ」
♪
操舵室での一件の後、俺は軽い頭痛を覚えながらも艦娘たちに針路を説明し、敵戦力の追討作戦へと送り出した。
俺は操舵室の反対側にある指令室にこもり、いつもの通り陣頭指揮を執った。指令室は窓の一つもない小さな部屋で、六畳ほどの広さしかない。あるのは正面の壁を向いた映写機と、部屋の四隅に設置されたスピーカー。それに小さな椅子と机だけだ。
この部屋の仕組みはいたってシンプルで、加賀が飛ばす偵察機から送られた映像を大写しの映写機が壁に投影し、全員につけた集音機が拾った音声をスピーカーから流すというものだ。こちらからの指示は俺がこの場で声を出せば、逆に集音機から流れ出す仕組みとなっている。上空を旋回する偵察機一機からの映像では戦況の全てを把握することはできないが、現場にいる艦娘たちの音声で足りない情報を補う形を取っていた。
「やりました」
いつもの無感情に、今回は誇らしさをのせた加賀の声が、スピーカーから流れ込んでくる。偵察機からの映像を見る限り、作戦海域で遭遇した敵は全て沈黙し、今回は俺たちの完全勝利に終わったようだ。映像と音声から判断する限り、こちらに特筆すべき被害はない。単騎で突っ込んだ島風とそのフォローに回った天津風が、ある程度装甲にダメージを負ったようだが、少しの間ドックで我慢してもらえば直るだろう。追いかけっこに夢中になった島風には、直ったあとできつくお灸をすえてやることとしよう。
敵主力艦隊が、轟音を立てて沈んでいくのをしり目に、加賀が上空を見上げ、何かを探すようにきょろきょろしている。しばらくしてから映像を送っている偵察機を発見し、誇らしげな顔をした。
「やりました」
「いや、一回言えばわかるから」
功名心なんかまったくないように見せながら、こいつは自身の手柄を貪欲に主張してくる。最後の一撃は加賀の放った爆撃機だったし、帰ってきたら面と向かってしっかりほめてやることにしよう。
「あ、ずるーい! 夕立だって、結構頑張ったっぽい!」
そんな加賀の後ろから、ものすごい勢いで夕立が突進してくる。持ち前の火力で、敵艦に風穴を開けて回った夕立は、十分今回のMVPだ。こいつも褒めてやることにしよう。
「加賀さん、てーとくさんに映像を送っているのはどれっぽい? 夕立、しっかりカメラ目線で報告したいっぽい!」
「さあ? あれかしら」
すっとぼけた顔をして、まったく別の航空機を指差す加賀。そうとは知らずに夕立は大きく手を振りながら、どうみても爆撃機にしか見えないその航空機に向かって突撃していった。戦闘判断にも重要になるんだし、航空機の形状の違い位理解しておいてほしいところだ。あとでこいつには居残り補習で教え込まねばなるまい。
「夕立は相変わらず周りが見えていないよね。……おや?」
そんな二人を遠巻きに見ていた時雨が、波間に目を凝らすように両手をかざす。時雨の視線は敵艦が沈んでいく方に向けられているが、警戒態勢を取っているわけではない。敵の残党を発見したというより、単純に何か興味を引くものを発見したようだ。
「僕の見間違いかな。あそこに何か浮かんでいるように見えるんだけれど」
時雨は敵の駆逐艦が沈んでいった辺りを指差した。遠巻きの映像ではわかりにくいが、確かに何かが浮かんでいるように見える。
「ふぁーあ、よく見えないですけど、敵の装備の破片ではないですかぁ?」
戦闘中はさすがにあくびをこらえていた夕雲だが、戦闘が終わって気が抜けたのか、さっきからあくびを連発している。よほど興味がないらしく、時雨が指差した先をちらりと見ただけで、くるりと踵を返した。一刻も早く鎮守府に戻りたいのだろう。
「装備か。確かにそうかもね」
「いえ、そうは見えませんね」
納得しかけた時雨だったが、加賀の瞳には何か別のものが映ったようだ。波間に浮かぶ物体に、加賀は無警戒に近づいていく。
「あら」
なにやら意外そうな声が聞こえる。
「提督、見えますか? 艦娘のようです」
偵察機側からもよく見えるように、加賀は体をどけた。遠目から見る限り、波間に漂う物体は確かに艦娘のようだ。しかし、そうだと言われなければ、敵の装備の破片だと勘違いしてしまいそうなくらい真っ黒だった。
「しかし、ずいぶんやられてるな」
「ええ。これだけのダメージを負って、なお沈まないとは見上げたものです。それで、どうしましょう?」
今度は判断を仰ぐような声だ。敵陣のど真ん中にボロボロの艦娘。連れ帰ってやりたい気持ちはやまやまなんだが、敵の罠って可能性もあるしな。俺は、映像を可能な限りズームアップして、浮かんでいる艦娘を観察した。
装甲はほとんど木端微塵に砕かれ、装備の大半がもはや機能しないだろうレベルまで破壊されている。満身創痍の身体のどこから浮力を得ているのか、俺は首を傾げるほかない。海藻のようにゆらゆらと危うげに揺れるその体には多くの裂傷や火傷が刻まれ、エメラルドグリーンの髪の毛には大量の煤がこびりついているようだ。ざんばらに散らかった髪が表情を覆い隠しているが、顔にもきっと多くの傷が刻まれているのだろう……。
浮かんでいる艦娘の表情をよく見ようとしたとたんに、俺の頭に鋭い痛みが走った。
「あっ……!」
「提督……?」
スピーカーからはこちらを気遣うような声が聞こえる。俺はモニターを見ていられなくなり、両手で頭を押さえたまま、かろうじて声を絞り出した。
「その子、もう少しよく確認したいから、こっちまで連れてきてくれるか? 慎重にな」
「ええ。それは構わないけれど……」
どこか腑に落ちない声色だったが、加賀は俺の言うとおりに艦娘をおぶって、鎮守府に向かって帰投をはじめた。モニターから目を話すと、正体不明の頭痛は、嘘のように引いていった。
♪